子供に限らず大人でも間違えるということを極度に恐れて、正解を出さないといけないっていう恐怖心にかられることありませんか?
いつも読んでいる「ふるやまんのマスラボ奮闘記」を書いている、ふるやまん先生は高槻市の個人塾で小学生から高校生へ算数、数学を教えている先生です。
先生の最近のブログ「算数オリンピックメダリストが生まれる土壌をつくる」で
まちがえることを恐れてはいけない、まちがいを一緒に楽しむことが大事だと書かれています。
この中のコメントを紹介しつつ、まちがえることが勉強をする上でいかに大事かについて書いてみます。
考える力がつく時は
先生の最近のブログ「算数オリンピックメダリストが生まれる土壌をつくる」の中で、考える力がつく時についてこんな風に書かれています。
考える力は、正解したときではなく、
あーでもない、こーでもないと考えることでできるのです。
たまたまあってたよりも、どうして間違えるのかを考える方が大事です。
できないのは理由があるのです。
それを一緒に確認してあげること、きちんと子どもたちの思考に寄り添うこと。
そうか、こんな考え方をしてたのか!
と思わず笑顔になってしまう考えの生徒もいます。
僕はそれがすきなのです。
間違ったことを叱るのではなく、一緒になって、この間違いはすごいなーと笑えると子どもたちも怖くなくなります。
そうか、間違えって面白いんやな。
そこから学べることもあるんやなと思います。
それを続けていくと、きちんと考えられるようになります。
間違えたときに
ん?
なんでや?
ここまではあってるなぁ。
あぁここかぁ
という心の中で自分の答案と向き合うことができます。
まちがえることが勉強になる
算数や数学のテストの結果を見る時にどこを見ますか?
正解や不正解の結果ですか?
もちろんそれもみますが、私はどんな正解の仕方をしていて、どんな間違いの仕方をしているのか。
そこに至るまでの過程を見ます。
できれば解き跡を見るのです。
算数だと本当に頭のいい子はすべて頭の中で図も書いて、計算をして正解を出せるようにお子さんがいます。
そんな一握りの天才を除いて、余白にどのように図や計算をしているかなどを見ると、どのように考えたかが分かります。
正解だとしても、思いもしないようなアプローチをしていたりもします。
不正解の場合は、途中までは合っていても理解不足だったり、勘違いがあったりして正解に至らなかった場合もあります。
もちろん本当にわからない場合もありますが。
それらの過程を見て、拾い上げることができる先生が本当に力のある先生だと私は思います。
1+1=2って本当?
ところで1+1=2って当たり前のようですが、本当に1+1=2なのでしょうか?
もしお子さんが、「1+1=」と問われた時に
①田、②1、③10、④答えは出せない
と答えていたらどうします?
全部×にしますか?
私は、理由を聞いて「なるほど」だったら〇にしますね。
どうして〇になるかって?
1+1=田
これはよくあるなぞなぞですね。1、+、1、=のパーツを組み合わせると「田」になります。
なるほどですね。
1+1=1
どうしてそうなるの?ですよね。
これを大人の男性1名と女性1名が一緒になると(+)、1家族になるから1+1=1って説明されたら納得しませんか?
まあ、これもなぞなぞみないなものですが。
1+1=10
これはどうでしょう?
2進数の世界だとしたら1+1=10なので、正解ですね。
10進数で考えなさいなんてどこにも書いて無ければ正解ですね。
1+1=答えはだせない
これは、1+1=1と似たようなものです。
最初の1と次の1の単位が違えば、
例えば1個と1人だったら合わせることができないですね。
また、1個と1番目でも合わせることができないですね。
そう考えたら、答えは出せないですよね。
当たり前のことはじつは当たり前ではない
考えることで、時に思いもつかないような答えを出してくれることがあります。
それは正解でなくていいのです。
考えるとっかかりになればいいのです。
だから、おおいに間違えればいいのです。
それを拾ってくれる先生や親がいてくれれば勉強は広がります。
上の4つの答えで大事な考え方って何でしょうか?
「たし算」とは「あわせる」ことです。
合わせるためには何が必要か、そう数える「単位」を「そろえる」ということです。
2進数という単位をそろえているのです。
図を書く時も「そろえる」ことが大事なのです。
「くらべる」ためには「そろえる」ことが大事なのです。
単位がそろっていないと計算はできないのです。
正しい計算ができる以前に、お子さんはまず単位をそろえないと計算ができないということを理解していますか?
理解していないから1m+1kmのたし算で2mと平気で答えてしまうのです。
また、数字には集合の要素の数を表す「集合数」とある物の順番を表す「順序数」の2種類があります。
同じ数でも表す意味が違ったりします。
お子さんが間違える時には、だいたい当たり前と思っていることをとばしてやり方だけを覚えている場合が多いです。
だからこそ、まちがえることは理解を深めるための宝庫なのです。
そして、その宝を拾い上げて話を広げることができるかが先生の力の見せ所です。
正しいやり方や答えを教えることは模範解答があれば簡単です。
でも思いもしない考えをしていた場合にどう軌道修正し、話を広げていけるか。
そんな思いもしない考えを出してくれる生徒を心待ちにしている先生って周りにいますか?
さいごに
山の頂上は1つでも、上り方はいろんなルートがあります。
このルートでないと正解ではないというのはないはずです。
いろんなルートを試してみればいいではないですか。
中学受験を考えたら、それができるのが5年生までの時期です。
どんどん間違えて、自分の理解不足や勘違いをただし、先生にも成長のチャンスをどんどんあげましょう。
そんなことをふとおもったふやるまんさんのブログでした。