WBCでヌートバー選手のペッパーミルパフォーマンスとともに日本が準決勝へ進む快進撃をしています。
3月18日より春のセンバツが開始されました。
WBC、センバツ、そしてプロ野球の開幕と野球の話題が尽きない日々が続きますね。
そんな中、開幕試合だった東北(宮城)―山梨学院戦の1回戦。
敵失で出塁した東北の選手が一塁ベース上でミルを回すパフォーマンスを行い、ベンチのナインも同じポーズで応えたところ、イニング終了後に一塁塁審から注意され以降は行わなかった。“自律・自立”させる野球を掲げている東北の佐藤監督が試合後に疑問の声を上げると賛否の声で話題になりました。
この件については「ペッパーミルパフォーマンスで注意された」という事実だけが切り取られて注目されています。
過去にも金足農業高等学校の「吉田投手(現日本ハムファイターズ)の侍ポーズ」が自粛を要請されたこともあります。
この時のことと重ね合わせるの今回高野連が注意をした背景も見えてきました。
事の背景や佐藤監督の見解、高野連の見解、世間の声など全体を見ながら今回の事象を考えてみたいと思います。
佐藤監督の見解
選手はいつも通り、笑顔で楽しんでいた。ずっとテーマは『野球を子どもに返す』こと。少しは子どもたちに野球を返せた。
敵失で塁を得た際にパフォーマンスを行ったことも忘れてはいけない。
相手のミスを喜んでいると誤解されては誰も幸せにならないとも思う。学生野球憲章にある「フェアプレーの精神」に触れたという考えも理解できる。
佐藤監督は試合直後、審判からの注意について「私は大反対」と覚悟を持って、言葉を口にした。
「これはちょっと問題にして頂けるとありがたいです。ちょっと高野連にケンカ売るかもしれないが……。でも、日本中が盛り上がっているし。なんであれがダメなのか、ダメな理由を僕らは聞きたい。私の方に火の粉が飛んできてもいい。もう少し子どもたちが自由に野球を楽しむ方法も、考えてもらいたい」
昨年8月から監督に就任し、取り組んだのは高校野球特有の“しきたり”をなくすことだった。
丸刈りをやめ、選手には自立・自律を求めた。
「とにかく楽しく、笑顔いっぱい。失敗も怒ることない。一生懸命やっての失敗であれば問題ない。若者の特権なので、どんどん失敗すればいい」
と、試合では“ノーサイン野球”で、その場の状況を個人で判断させてきた。
高野連の見解
「高校野球としては、不要なパフォーマンスやジェスチャーは、従来より慎むようお願いしてきました。試合を楽しみたいという選手の気持ちは理解できますが、プレーで楽しんでほしいというのが当連盟の考え方です」
世間の声はどうなの?
原晋氏
いまだにこんな管理者(審判)いるんだ⁉︎世の中個性を大切にしようと言っているのに、他者を侮辱行為してないパフォーマンスに対して制限するなんて不思議でならない。負けるな高校球児!高校野球は君たちの為にあるのだから! https://t.co/Emc1xOI1rM
— 原晋 (@hara_daisakusen) March 18, 2023
世間の声
球児を擁護する声の例
- 「そんなに目くじら立てなくても」
- 「大目に見てもいいと思う」
- 「時代錯誤」
一方で敵失で出塁した際のパフォーマンスだったことからの反対意見の例
- 「相手エラーでの出塁ではやらない方が良いかなと」
- 「相手のエラーでペッパーミルは煽りでしょ」
- 「リスペクトに欠けている」
過去のパフォーマンス
金足農「吉田投手の侍ポーズ」
吉田投手のルーティンが時折見せる「侍ポーズ」は、高校野球連盟が吉田投手に対し侍ポーズの自粛を要請したことがあります。
・侍ポーズとは
侍ポーズとは吉田投手とセンターの選手が見せるルーティンワークのことで、守備に就く際、マウンドとセンターでタイミングを合わせ、刀を抜くポーズをキメる動きのことを指します。
金足農業高等学校の快進撃も手伝い「侍ポーズ」は一種の名物になっていましたが、高野連は侍ポーズの自粛を要請。自粛を通達された後の準決勝では “控えめな侍ポーズ” を決める吉田選手が話題になっていました。
そもそもなぜ高野連は侍ポーズを自粛するよう要請したのか……?
相手を挑発しているわけでもないのに何がダメだというのか?
過去には「ハンカチ王子」の例も(話題作りのパフォーマンスという見方もあるので)あるし、それ込みで甲子園を楽しんでいる人も多いハズ。
「侍ポーズの何がダメなのか?」について日刊スポーツが高野連へ問い合わせ、その回答です。
- 侍ポーズがダメな理由はなんなのでしょうか?
-
「はい、高校野球では “野球とは関係ないパフォーマンス” は不必要であると考えております。侍ポーズは野球とは関係ありませんので、自粛を要請しました」
- ただ、守備に就く際のルーティンワークに過ぎないという意見もありますが、その点についてはいかがでしょうか?
-
「先ほど説明した通り、我々としてはパフォーマンスとして捉えております。野球をする上で必要なものとは考えておりません」
- そもそもなぜパフォーマンスがダメなのでしょうか? イチロー選手は打席に入る際、独特のポーズをしますよね?
-
「高校野球とプロ野球は比較できません。高校野球には高校野球なりの “野球像” がありますので、今回の侍ポーズはそれにふさわしくないという判断をいたしました」
つまり、高野連には高野連なりの “高校野球像” があり、それに触れるようなパフォーマンスはしてくれるな、ということのようでした。
・高校野球らしさとは?
高野連の言う通り、高校野球には高校野球なりの良さがあることは事実です。
ただその一方で、時代にマッチしない古ぼけた価値観がいまだに幅を利かせていることもまた事実だろう。
高校野球らしさとは何なのか?
高校生らしさとは何なのか?
まとめ
最初この記事を目にした時には、「敵失で出塁した際のパフォーマンス」なので、相手に敬意がないとみなされたのかと思いました。
でも今回、もし塁上でガッツポーズをしたならば注意されたのだろうか?という疑問もあります。
パフォーマンスはお互いに一生懸命やプレーした中で出てきた気持ちの表れです。
吉田投手の例と重ね合わせると、WBCで流行っている「ペッパーミル」パフォーマンスは「侍ポーズ」と同様に不必要なのものとして見られたのであり、敵失の場面というのは関係なかったかもしれません。
「不要なパフォーマンスやジェスチャーは、従来より慎むようお願いしてきました。」というコメントに高野連の見解が見えます。
高野連だけが一方的にその価値観を定めるのではなく、幅広い議論が必要な時期に来ているのかもしれない。
どっちの理屈が正しいかとということよりも、せっかく異なる意見が出るようなら当事者同士で話し合いでもしてみたらどうでしょうか。
選手と監督と審判と高野連と何ならエラーをした相手チームの人も一緒に。
「どういう意識でパフォーマンスをしたか」「されたときにどう感じたか」「なぜ注意したか」「注意されてどう思ったか」「世間がざわついていることに対してどう思うか」等々。
そんなことができたら、当の高校生たちにとってそれに優る高校野球の「教育的効果」はないと思います。